パートナーを含む関係者全員の信頼関係が大切です。
お話を伺ったクライアント
新関西国際空港株式会社
総務人事部兼コーポレートコミュニケーション部 浜野浩二様
伊丹空港本部 環境・地域振興部 環境管理グループ 升本正人様
制作物
各自が意見や思いを伝え徹底的に議論し、共通認識を持つ
周年事業の担当者になった時のお気持ち、状況
周年プロジェクトの一つとして記念誌の制作が決定し、年史編纂事務局に配属後、経験の浅い自分には荷が重いと少し不安でした。当社OBで関西国際空港開港に至る経緯を熟知し、開港前後の様々な出来事をリアルタイムで経験された大先輩が事務局長として着任され、非常に心強く感じました。
また記念誌制作に携わることで、会社の外から一歩引いて客観的に当社が運営する関西国際空港(関空)と大阪国際空港(伊丹空港)を顧みて、かつ関西の空の歴史を深く掘り下げてじっくり勉強できる貴重な機会を得られたことを光栄に思いました。
進めるうえで苦心したこと、喜び
今回の記念誌は多くの関係者に気軽に目を通してもらい、両空港変遷の概要を簡潔に理解いただけるよう、写真を主体に構成し80ページに収めるべく制作しました。そのため、一世紀近い関西の空港の歴史を紐解き、数千にわたる膨大な出来事の中から
1. 取り上げるトピックスを選定
2. 史実を検証
3. トピックスを補完する二百数十点の写真の整合性をチェック
4. 最終的に80ページに凝縮
といった気の遠くなるような作業にチャレンジしました。
一方で、企画制作~印刷納品までわずか半年という短期間に完遂させるという重圧の中、社内所属部長はじめ局長や先輩OBの全面的な協力のもと、工程管理の采配を一手に任していただき、スケジュール通り進められたことは事務方冥利につきる喜びでした。
パートナー会社との連携
一般的な社史と違い空港史の取り纏めは、特殊性や専門性ゆえに、短期間でパートナー会社と認識を共有することは難しいと考えておりました。伊丹の公害訴訟や、海上埋立て空港「関空」の建設など、1つの歴史的な事象に対して地元住民、自治体、国それぞれの立場の違いを踏まえた上で、史実を客観的に表現する必要から、パートナーが我々の作成原稿を鵜呑みにせず、公正な判断を下し、的確な指摘を願えるのか危惧したのです。
結果は、我々が想像した以上の高いレベルで検証、校閲の上、アドバイスいただき感銘を受けました。
できあがった時の気持ち、発刊後の反響
無事期日どおりに完成し、コラムや写真、年表の一言一句に至るまで誤字脱字は無論、全て完璧に仕上がっており、達成感と今までの苦労が報われたことでホッとしました。関係各位の献身的な協力、チームワークなくして完成しなかったと改めて感謝しています。
本誌を手にとられた方からは、伊丹空港、関空の歴史がコンパクトに整理され、各時代の写真が豊富に掲載されており、見やすくわかりやすい肩の凝らない良い記念誌ですねとお褒めいただきましました。
周年史の意義、その役割への期待
今回手がけた周年記念誌は、伊丹空港と関空それぞれの空港の主要な出来事のみならず、2つの空港の棲み分けや存続経緯など合重なる重要な案件も取り上げており、社内では現役社員が業務資料として手元において使えるものと好評を得ました。関係者への配布以外に地元自治体や図書館にも寄贈しているので、今後関西の空港史を紐解く人にとっての入門書的な役割を果たせれば幸甚です。
これから周年史を編纂される方へ
限られた期間や予算の中で思い描く周年史に仕上げるには、丸投げでなく、初めの関係者全体会議にて、どれだけ各自が意見や思いを伝え徹底的に議論し、共通認識を持つかです。配布ターゲットを誰に、どんな切り口(時系列?テーマ別?など)で、どんな形態(読物型?写真誌?デジタル化?)を取るかで大筋の方向性が確定し、後は皆でどこまで押し通せるかです。大切なことはパートナーを含む関係者全員の信頼関係です。
“打てば響く”ような関係を築けたのが良かった
周年事業の担当者になった時のお気持ち、状況
関西国際空港開港20周年、大阪国際空開港75周年を記念し、関西国際空港開港日である9月6日に開かれる祝賀会の招待者へ「両空港の開港から今日までの年誌」を記念品として渡すことになりました。
役員からは、「大阪国際空港の戦後のジェット化に伴う環境問題、それに続く関西国際空港の建設に至る歴史経過は一連のものである」ことを留意して編纂するようコメントがありました。
資料としましては、すでに、1989(平成元)年に「大阪国際空港50年史:翔」が関係機関(実行委員会形式)により発刊されており、併せて「大阪国際空港の想い」を大先輩たちが作成関係者に配布されていました。また、国土交通省大阪空港事務所作成の「大阪国際空港の概要」(平成17年度版以降発刊せず)の巻末の年表には、大阪国際空港の歴史が記載されていました。
正直、これらを活用することにより資料収集は実質、平成16年以降平成26年までの、直近約10年間の空港の話題について調べ整理すればよいと少々安直に考えていたのは事実です。後になってそんなに甘いものではないと気がつきましたが(笑)
進めるうえで苦心したこと、喜び
関西空港の場合、空港の変遷イコール社史に相対すると考えられます。伊丹空港の場合は、国の管理が長く、空港整備運営(特に騒音問題)を中心に構成を考えました。
具体的には、大阪第二飛行場 ⇒ 伊丹エアベース ⇒ 大阪空港 ⇒ 大阪国際空港という名称の変遷、空港機能の整備及び副産物の洗い出しを進めました。特に昭和36年からの空港拡張、ジェット化、航空機騒音問題の発生、そして裁判・調停結果一定の問題に区切りがつき、調停事項に基づく「大阪国際空港の存廃」に関西国際空港開港後も存続することが決まったのですが、沿革はこの流れを念頭に編纂作業をしました。
また、大阪国際空港の航空機騒音値(うるささ指数:w)も関西国際空港の開港に伴い大幅に改善され、併せて対策区域も平成20年には大幅に縮小されましたが、編纂に携わったものとして、また、個人的にも「関西国際空港が開港し、国際線が移転した結果、航空機騒音が大幅に改善された」ことを記述(記録に残す)し、関西国際空港建設の効果の一端を示すことにも留意しました。
一方、年表については、過去を調べる際にも役立つよう正確に記述することに注意しました。(最後まで点検ミスがあり周りには大変迷惑をかけたと反省しています・・最低限2眼での読み合わせを痛感しました)
上記の編纂作業を進めるなかで、「PDCA」に基づいて作業をすると効率的だと感じました(自身振り返り反省です)。
Plan 計画・・・編纂方針
Do 行動・・・資料収集
Check 測定・評価・・・収集資料の点検、確認、評価
Action 修正・・・編集方針、収集資料の修正等
次の段階に進んでも、計画から修正までさらに掘り下げた作業を行うことです。
パートナー会社との連携
一般的な社史と違い空港史の取り纏めは、特殊性や専門性ゆえに、短期間でパートナー会社と認識を共有することは難しいと考えておりました。伊丹の公害訴訟や、海上埋立て空港「関空」の建設など、1つの歴史的な事象に対して地元住民、自治体、国それぞれの立場の違いを踏まえた上で、史実を客観的に表現する必要から、パートナーが我々の作成原稿を鵜呑みにせず、公正な判断を下し、的確な指摘を願えるのか危惧したのです。
結果は、我々が想像した以上の高いレベルで検証、校閲の上、アドバイスいただき感銘を受けました。
これから周年史を編纂される方へ
私は、平成24年3月(23年度末)に定年退職しましたが、その後、再任用やアルバイトを経て、統合関係のコンサル業務の請負会社と請負契約の形で大阪航空局内設置の統合準備室で電話の窓口を担当することとなりました。民名義地の相続人に説明し、承諾を得て国名義にする作業において、問い合わせ等の電話対応の必要が生じたためです。
なぜ民名義地が残ったのか、過去の資料等を調べる中で、大阪空港の開設、拡張、米軍による接収、特にその後の拡張整備に係る用地買収等の経緯経過を知ることができました。伊丹の歴史を知っていると思われたのか、縁があって大阪国際空港に関する編纂作業を指名されました。現役時に再就職先を声掛けしてもらった方から再度声掛けしてもらったのですが、そんなご縁がなければ編集に携わることはありませんでした。
編纂作業にあたっては、経験がないこともあり、時間効率等を考え、直接制作現場に足を運ぶようにしましたが、そのうちに、“打てば響く”ような関係が築けました。編纂を終えた今も時々お会いしますが、そんなことがなければ、今日のような付き合いは無かったのでは思います。それもご縁ですね。
いつも思うことでありますが、人の出会い、縁は面白と思います。
※社名・肩書・事実関係は掲載当時(2015年8月)のものです。